市街へ
台北桃園空港から台北市街に向かう。近代的なビルや工場があることは日本とあまり変わらない。違うとしたら一部のビルの屋上部分が瓦屋根のような形になっていたことくらいか。
市街に到着。宿泊場所が空港から台北駅に向かう途中だったので、途中で降りる。街に出ると、しばしば排気ガスの臭いに出くわす。車も多いが、それ以上にバイクの数は日本では考えられないくらい。実際東京よりも大気汚染はひどいようである。(中国本土や東南アジアの大都市と比べればはるかに良好らしい。)もっとも排気ガス、盆地であるため汚染された空気が閉じ込められること、あるいは中国などから国境を超えた汚染物質の飛来、などの要因がどのように関連しているのかはデータがないのでわからない。
排気ガスの次に気になった臭いは食べ物なのか、生ゴミなのか、腐ったような臭い。どこかで経験があると思ったが思い出せない。日本では飲食店が多い場所で時々はあるが、街を歩いてしばらくの間ずっと、ということはあまりない。後で某国の中華街での臭いだと思いだした。そうしていると、「臭豆腐」の看板が目に飛び込んできた。うわさに聞いていたあれか、と思ったが、想像していたほどではない。
食べ物
名物だということで、最初に食べたのはその臭豆腐。鼻を近づけてみたが、確かに臭いが思ったほどではない。味も至って普通。特別美味とも思わないし、かといって不味くもない。グルメの話はあまり書かないが、美味しくなかった、ということではないので、念のため。
食品の安全
農薬や食品添加物などは普段気になるものの、飲食店では割り切って色がきついものなどを避けるぐらいだが、コンビニなどに行くとついつい原材料を見てしまう。日本語ではカタカナの食品添加物は(英語表記がない限り)漢字の表示を見るしかないが、どの食品にどのような添加物が使われるかはそれほど変わりはないはずなので、大体何のことだか見当はつく。ある朝、「豆漿」(豆乳)を食べようと思って飲食店に行くと、「非基因改造黃豆」なる表示。遺伝子組み換えをしていない、という意味だろうと思ったが、実際そのようである。他にも「無防腐剤」「有機」などの表示がされているのも日本と変わらない。
もう一つ食品の安全で気になるのは衛生状態。旅行ガイドブックを見ると水道水は飲むななどと注意されている。夜市(屋台)での食事も衛生状態が気になり、火を入れたものしか食べなかった。結果として、美味しいフルーツもあまり食べなかった。(後で同僚にそんな話をしたら、もったいないと言われた。)
菜食、ハラル・・・
台北では「素食」という看板をよく見かけた。素食とは菜食のことで、肉や魚を使わない料理を食べられる。使わないものの範囲は店によって異なるかもしれないが、基本的には卵や乳製品はもとより、五葷と呼ばれるネギ、ラッキョウ、ニンニク、タマネギ、ニラも使わない。一般的な台湾の食事には肉が多く含まれるが、台湾にはベジタリアンも多いようである。日本の精進料理とも似ているが、大豆、こんにゃくなどを使って肉や魚に似せた味や食感を出そうとしている点は異なる。
街を歩いた限りではハラル対応の飲食店は一度しか見かけなかった。ただあることはあるようで、イスラム教徒向けに対応しているレストランなどが紹介されている。
「中国」
台湾が「中国」なのか、というアイデンティティが問題になっていることは知られるようになっているが、「中国」的な面の代表ともいえるのが「中正紀念堂」。紫禁城などには及ばないものの、巨大なモニュメントはまさに中国、といったところ。
なお、「中正」とは蒋介石のことだが、現在の台湾における蒋介石の評価は微妙なもので、二・二八事件などでの住民への弾圧のために否定的な評価も少なくなく、実際に陳水扁氏が総統だったころ、「台湾民主記念堂」に改名されたこともあった。
余談だが、近代日本にはこうした建築物は存在しない。ドイツ、イタリア、ソ連など1930年台の全体主義国家、また(全体主義と呼ぶべきかはともかくとして)蒋介石時代の中国も国威発揚と権力の正統化のために建築や都市計画に力を入れていたが、同時代の日本は軍事目的の資材の確保が優先され、国家総動員体制下での典型的な建築はバラック群だったという。(井上章一『夢と魅惑の全体主義』)1940年の東京オリンピックが実現していれば違っていたかもしれないが、そもそも開催返上の主な理由が資材の不足であり、この経緯も建築や都市計画の優先度が低かったことを示している。
もう一つ中国を感じさせるものが故宮博物院。これもまた巨大な建物である。中華文明を代表する所蔵品の数も多いので当然ではある。残念ながら「翠玉白菜」など見られなかったものもあるが、貴重な収蔵品が多数展示されていた。
よく知られていることだが、台北に故宮博物院があるのは、第二次世界大戦後の国共内戦に敗れた当時の国民党政府が台湾に渡るときに故宮の所蔵品も一緒に持ちだしたことによるもの。そのため価値が高いとみなされているものは(北京より)台北に多い。
建物
建物の装飾も寺社など日本の伝統的な建物とは明らかに異なる。屋根には龍など動物が彫られているし、全体としてカラフルである。
また、近代的なビルに中国風の意匠を施したような建物もある。
清朝時代の建造物がそのまま残っている地域は少ない。剥皮寮と呼ばれる一帯がそうした地区で、アーケード状になっている。アーケードはある程度の大通りの両側にはよくある。雨が多いためなのか、歩行者にとっては雨を避けられるのがありがたい。
「日本」
日本を思い出させるものは街中にあふれている。日本人は多く、特に観光地は日本語が聞こえることもしばしば。 飲食店や施設でも日本語の表示があったり、日本語が使えたりすることが多い。日本企業やブランドも至るところに見られる。中にはおかしな日本語もある。
また、日本料理店も高級店からファーストフードまでそろっている。「日式」と書いてあるのが日本(風)のもので、他には韓式、泰式(タイ)、義式(イタリア)などがあった。
日本語は様々な商品に使われているが、学習者が多いとはいえ、大半の人が理解できる言語ではない。日本でほとんどの人が理解できないフランス語が高級感を出すために使われているのと同じようなものなのかとも思ったが、実際にどのように受け止められているのかはわからない。
郊外
台北の人口は270万人程度で、郊外の新北市を含めるとさらに増えるが、東京(圏)などと比べるとかなり少ない。そのためか、中心部を少し離れれば森や畑が広がっている。中心部から10kmも離れていない故宮博物院があるあたりも周りは緑に囲まれている。電車、バス、ロープウェイなどで1時間程度かければ温泉街や茶畑があるエリアに行くことができた。
原住民
台湾の人口のうち約2%が原住民族(日本では「先住民」という表現が一般的だが、ここでは台湾で一般的に使われている言葉を使う)であるとされている。近年では(カナダやオーストラリアなどと同様で、様々な問題はあるが)原住民の権利を尊重する方向で、原住民の生活を展示する博物館があったり、 原住民が多い地域では標識に原住民の言語(おそらく)が使われていたりする。今回タイヤル族が多く住む烏来という町に行った。そこにある博物館は台風のため閉まっており、結局見られなかった。
烏来で原住民が経営し、原住民の料理を出すレストランに入った。「文化」(の一部)を商品化することで、市場経済の中で生活しようとしているというのは他の場所でもあることである。元の文脈からは切り離されることになるが、それ以外に方法はない、ということだろう。一方の自分自身も商品化された文化を消費するということに多少ためらいはあるが、これ以外の接触の仕方を想像できない。
少し話を聞いたところ、その土地に住むタイヤル族で、観光業(レストランに限る?)に関わっているのは自分たちだけだという話だった。それ以外の人がどのような生活をしているのかは聞いていない。料理は竹筒を使うなど素朴な面を残しながらも、味は中華料理に近い。長い間の漢民族との接触によって影響を受けたのだろうか。
なお、タイヤル族を含め、原住民の中には第二次世界大戦で旧日本軍の軍属として戦った人もおり、今に至るまで引きずっている問題もある。(観光客として訪れただけなので、特にそうした話はしていない。)
台風
ちょうど旅行中に台風が接近していた。烏来にいたときに最接近しており、近くを川が流れているため警戒が必要で一部の橋は閉鎖されていた。マスコミも取材に来ていたようで、原住民料理店の店主にもインタビューしていた。
帰国
帰りの山手線の中は台湾旅行の広告で埋め尽くされていた。
台湾ご旅行いいですね!羨ましいです。一度行ってみたいと思いつつ先にカナダに来てしまいました。
返信削除